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(その6) ほんとうの強さを求めて

(97/09/13)


 20年ほど前に買った「少林寺拳法 その思想と技法(宗 道臣著)」を開いてみた。
序章に「ほんとうの強さを求めて」と題して以下の様な記述があった。
 
=======(ここから引用)
少林寺拳法を志す人々の動機の多くは、強くなりたいというところにあろう。人間、誰しも強くありたいと願うのが当然であるし、少林寺拳法は、護身の術としても、その合理的な技の数々に絶大な効果を秘めているので、技の魅力と、力に対するあこがれから、護身練胆を目的として、少林寺拳法へのアプローチを試みる人が多いのも、あながち無理とは言えない。
とかく、無法者の横行する現代に、正義を貫くための力の裏付けはなくてはならないし、振りかかる火の粉をはらいのけられるだけの力は必要である。
最低、自分の身は護れるという自信が、真の勇気につながることにもなる。
しかし、度胸が良い、腕っぷしが強いということと、強健な肉体を持つこととは必ずしも一致しない。
相手を制する技法をいくら数多く知っていても、病弱の身では人生をたくましく生きることはむずかしい。
健康な肉体は、人間の幸福に欠かせない条件であり、強さを求める人々にとって、保健体育も大切な目的の一つである。
さらに大切なのは、どんな困難にも決して挫けない、強靭な精神の強さである。
殺しても死にそうにない頑健な肉体や力の持主が、精神の弱さからノイローゼに悩んだり、果ては自殺したりする例も珍しいことではない。
強い心の持主は、七転八起どころか、たとえ百度転んでも、百一度目に起き上る勇気を持っている。
生きている限り、どんなことがあっても決して負けたと思わない強い心こそ、ほんとうの強さを支えるものなのである。
そして、それは一部の学者が説くように、「強健なる身体さえ作れば、自然に健全なる精神が宿る。」というようなものでなく、精神を鍛えるための不断の努力がなくてはならない。
もともと、人間は身心一如の実在であって、身体と心が別々に存在しているわけではないから、もし、ほんとうの強さを求めるなら、技を磨き(護身練胆)、身体を鍛え(保健体育)、心を養う(精神修業)という三つの目標のどの一つを欠いてもならないであろう。
少林寺拳法は、単なる護身術ではなく、この強さの三つの側面、勇気と健康と英智を兼ね備えた真の勇者としての人間完成を目指す道なのである。
=======(ここまで引用)
 
この章では、「心・技・体」の重要性と少林寺拳法はこの「心・技・体」を目指す道なのであると言っている。
「実際は少し違っていた。」というのが、4年ほど少林寺拳法をやっていた私の実感であるが、そんな事はどうでも良い事である。
 仕事の上でこの「心・技・体」を考えると
    心:自信
    技:技術力、知識
    体:行動力
となる様な気がする。
 どうもこの「心・技・体」のバランスがとれている人は少ない様だ。
例えば、
  技術力の裏付けもなく適当な事を言っている人。
  知識は有っても、有効に使っていない人。
  知識は有るのに、内気(?)で役に立たない人。
等々。色々考えられる。
 自分自身を考えると、知識不足で自信は無く、決断力に欠ける。
 
 仕事の面で、人間完成を目指すのも大変そうである。
 

(その5) 頭の固い開発者が生産性を下げる

(97/04/26)


 日経コンピュータの「読者の声」に以下の様な投稿があった。
=======(ここから引用)
『頭の固い開発者が生産性を下げる』
 
 生産性向上を阻害する最大の要因は開発者自身であることが多いと思います。
特に,経験の長い人に良く見られるのは,自分流のやり方に固執するあまり,生産性よりも自己満足を優先していることです。
 こういう人は自分の慣れた手法で開発するのが一番生産性が高いとかたくなに信じており,新しい手法を最初から否定してかかります。
このような人は少なくなってきてはいますが,まだ生き残っていますし,生産性など気にもしていない人も多く存在します。
生産性の向上のための方法論やツールを導入する際には,開発者に対して十分な教育や指導を実施すると同時に,強制力のある運用の仕組みを作ることが重要ではないでしょうか。
=======(ここまで引用)
 
 私自身も新しい手法やツールに順応出来ずに、自分の経験を優先させてしまう事がある。時代の流れをすなおに受け入れる必要が有ると痛感している。 一歩進めて後輩に対して教育・指導が出来る様にしなければならないのだが・・・。
 

(その4) 一人の人間

(96/09/16)


 フランスの作家アンドレ・モロワの言葉に「真の革命はただ一人の人間の革命 であるといわれている。より正確にいえば、ただ一人の人間も、大衆に一つの手本を 提供することができるし、その手本の模倣は地球をもくつがえすであろう。」という ものが有るそうだ。
 ある雑誌に、この言葉を引用して「長いものに巻かれ、曖昧を好む日本の 精神的風土では、一人立つことはむしろタブーであった。政治や行政をはじめ、問題 を先送りにするばかりの無責任な風土では、”一人立つ”ことよりも"群れて並ぶ” ことが好まれてきた。まさしく、この気質が「一凶」となって、現在の日本の各界は 行き詰まり、国際社会でも不信を募らせている。 (中略) 困難な時に一人立ち 上がれる人間は、その人の精神が限りなく自立している証明である。 (後略) 」 とあった。
 まさにその通りと感じた。昨日の日本テレビ「知ってるつもり」の 「大塩平八郎」を見て、大塩平八郎はこの「一凶」を打破する為に一人立ち上がった のだと思った。日本は160年前と同じ様な状況にあるのかもしれない。
何事においても"群れて並ぶ”状況が見える。
「一人の人間」として曖昧を排して責任ある行動をとる必要があると考える。
 

(その3) リーダーとは

(96/09/14)


 現在、お客様の中で仕事をしている。
仕事の主導権は当然お客様が握っている。この様な環境で仕事をしていて「何故、 この様な人に命令されなければならないのか」と思う事が多い。
仕事・作業の本質を見通す事もできず、進捗のみの管理しか出来ない。ましてや 問題が発生しても対応すらできない。問題の本質を見抜けず「とにかく頑張れ。 とにかく生産物を作成しろ。」としか言えない。
問題点に対する対応策を提出しても、先送りしていっこうに行動をおこさない。 毎日、毎日丁寧にフォローしているのだが、「ぬかにくぎ」である。
相手がお客様であるので堪忍袋を3重構造にしているが、「爆発寸前」である。
 
 ただ、私自身も反省する点は幾つもある。

・本当に、相手の立場になって物事を考えているのか。
・相手のミスを積極的にカバーしているのか。
・「あきらめ」があるのではないか。
・執念を持って仕事をしていないのではないか。
 
 「結果を出せなければいくら努力してもダメだ。」
 「結果を出せなければリーダー失格だ。」
と言われた事がある。
 
 1ヶ月後に第1回目の作業の節目が来る。「結果」を出さなければ。
 

(その2) 国民を馬鹿にするな

(96/06/26)


 消費税が5%になろうとしている。なんて事だ。
国民の意見を無視した「住専」は何の修正もなく国会を通過した。さらに疑惑だらけの「加藤喚問」も何の進展もなく終わった。そして消費税が5%になろうとしている。山村や武村(あえてサンやセンセイは付けない)の責任問題もいつのまにか消えた。
 国会議員は国民の意見を無視して良いのだろうか。自民党・社民党の支持者はこれで良いと思っているのか? 怒りはおさまらない。 さらに言うならば「新進党は何をやっているのか。」と言いたい。
 私は選挙権を行使できる様になってから一度も棄権した事は無い。投票率が低下の一途をたどる昨今ではあるが、日本国民として「政治をきちんと監視しなければならない」と強く言いたい。
 選挙は直接政治に関われる機会である。棄権している人が「今の政治は・・・」とは言えないと思う。自分の回りで火事が起きていて「自分には関係ない」とは言えないであろう。
 次の選挙では橋本首相をはじめとする「住専」の成立に寄与した輩、そして非常識にも侵略戦争を「侵略ではない」と言い張る輩に鉄槌を下し、正常な国民主体の民主主義を取り戻す必要があると考える今日この頃である。
 

(その1) 急速な技術進歩への対応

(96/06/18)


 日経ウオッチャー(1996 5.31)に以下の様な記事が載っていた。

 (前略)急速な技術進歩に人の知識が追いつかない。これがマーケットの成長を妨げる大きな要因になる恐れがある。技術革新のスピードは速く、しかも製品のライフサイクルは短くなっている。トレーニングされていない人をどうするかという問題が表面化してくるだろう。逆に、トレーニングされた人は優遇される。特にSAPのような統合業務パッケージではこれが顕著で、知識の有無で給与は2倍も違ってくる。だからこそユーザーも業者も教育事業に力を入れ始めてきたのだ。

 通常の業務をしていて最新の技術を自動的に修得できる人は別として、最新の技術を修得するためには、会社が教育するか個人が自分で学ぶかのどちらかである。
 「トレーニングされていない人をどうするかという問題が表面化してくるだろう」とあるが、今まではこの様な問題が有ったとしても「OJT」でなんとかしろと現場に押しつけていたと思う。技術革新のスピードが速くなるとこの様な事は出来ない。少人数でかつ、仕事の出来る人を集めたプロジェクトにより仕事は遂行されなければならなくなる。
 この様な場合、「個人のスキル」が重要となるが、個人のスキルを誰が評価するのかという問題もある。当然、プロジェクトを管理する人間である。高いスキルを持った人に高い報酬を出す。だからこそ、自分自身で最新の技術を修得するのではないかと思う。会社にとって魅力的な人材には、高い報酬と教育の供与が必要となるのは当然の事ではないか。
 「スキルも無い、やる気も無い、与えられた仕事をなんとかこなしている状況であってはならない。」と感ずるが、それに見合う待遇があるのかというと疑問である。


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