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道南地図


日常の風景


(1)函館編

 2004年5月  久しぶりに立待岬に行った。
            その1 その2 その3 その4 その5
 2002年6月   ペリー提督 来航記念碑
        ペリー提督は1854年5月17日に箱館に来航した。説明文
        この記念碑は、2002年5月17日にペリー提督来航記念碑建立協議会により建立された。
           その1  その2  
        ペリー銅像は函館出身でローマ在住の彫刻家・小寺真知子さんが製作。
                                  (中野さんありがとうございます。)
 2002年4月   ゴールデンウイーク初日(27日)の函館公園の風景。
            その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 
          函館博物館第一号
          青柳坂
          亀井勝一郎  
          夕方、函館山の中腹から函館市街地を望む。立ち木の切れ目からの風景。
 2002年3月  まだ春の来ない函館山の風景
 2001年7月  函館山中腹からの風景
         函館山に防空壕のようなものがあった。
 2001年5月   函館山が見える家に引越しをした。自宅からみた函館山
 2000年10月  碧血碑に行った。案内板
          碧血とは、「義に殉じて流した武人の血は3年経つと碧色になる」という中国の古事からの引用である。
          明治2年(1869)5月函館市内で政府軍と、旧徳川家臣の戦いで戦死した旧徳川家臣の方々を葬った墓碑である。
          大鳥啓介や榎本武楊らが建立したらしい。土方歳三や中島親子が眠っている。
          石材は伊豆産のもので、東京で刻み、海路函館に運び明治8年(1875)5月に建立したものである。
          戦いは明治2年5月18日五稜郭が落ち、政府軍は招魂祭をし、戦死者を葬ったのに対し、
          旧徳川家臣団の戦死体は手をつける人がいなかったのを、柳川熊吉が自分の子分を指揮して、
          現在の弥生小学校近くにあった実行寺や称名寺に合葬したのを、明治4年(1871)頃に現在地に改葬した。
          碑こは、表面こ「碧皿碑」裏面こは「明治辰己 実有此事 立石山上 以表厥志 明治八年五月」とあるだけである。
          これは、「明治1・2年にこのことがありました。石を立ててささやかな気持ちを表します。」という曖昧な表現である。
          埋葬者数も記載されていないが、函館区史には796人とある。
          ちなみに、裏面の「明治辰己 実有此事 立石山上 以表厥志 明治八年五月」を撮影しようとしたら、3回も
          失敗してしまった。戦死者の無念が伝わってきたような感じがした。

 2000年9月   五稜郭公園から職場の方向を撮ってみた。も秋を感じさせてくれた。
 2000年9月   国道228号線から見た函館山。その1 その2
 2000年8月   本年開校した「はこだて未来大学」ではこだて・未来産業展があった。
 2000年6月   函館山の麓の末広町付近から函館山を見上げる。休日であったが、人通りは少なかった.
           金森倉庫付近も人通りは多くなかった
 2000年5月   職場から歩いて10分のところに五稜郭公園がある。公園の中は初夏の気配が漂っていた。
 2000年5月   5月の末ともなると函館公園の桜も殆ど葉桜となってしまった。一部が残っていた。

(2)松前編

 2002年12月  イギリス商帆船エゲリア号 座礁の地。(大沢櫃の下)
           碑には、「イギリス商船 イギリア号遭難の地」となっている。
           大沢櫃の下から見える旧国鉄松前線の鉄橋跡
 2002年5月   松前町の桜。今年は花が無いのかなと思ったが、さすが松前、たくさん咲いていた。
 2002年5月   白神岬(最南端)の風景。風が強かった。
 2000年10月  松前駅跡を見に行った。私が高校生のころまでは汽車が通っていたのに・・・。
 2000年10月  松前藩屋敷へ向かう道。なかなかの風景であった。
 2000年10月  松前町の花木園(かぼくえん)が見頃であった。
           この庭園はGoodである。
           松前藩屋敷の手前に造られている。今回は車を止めてじっくりと眺めてみた。
 2000年10月  ゴローウニンの石碑が10月21日に建てられとの事で本日(10月22日)見に行った。
           ここは大館跡らしい。10月21日以前からの案内板です。神明の沢の道路側から撮影
           ついでに、神明グラウンドの周りの風景を撮影。その1 その2 その3
 2000年9月   白神岬からの眺め。大島、小島等が見えた。
 2000年6月   松前町の漁港に脇に弁天島(灯台)がある。
                      北の方向
             西の方向    弁天島    東の方向
                      南の方向
 2000年6月   折戸浜。松前町建石から車で2,3分のところにある。
           駐車場もあり夏の利用客は多い。この季節は殆ど人がいない。
           透き通った海水が初夏の香りとマッチしている。 様子その1 その2 その3 その4
 2000年6月   道南の秘境、松前矢越道立自然公園は、松前町の白神岬を中心に福島町と知内町にまたがる
           約30キロの海岸線で、離島の大島、小島を含めた2,024ヘクタールに及ぶ広大なものです。
           松前町の白神は伊藤整生誕の地である。
           伊藤整は松前に生まれ、1906(明治39)年塩谷村に転住。
           1925(大正14)年小樽高商卒業後、新設の小樽市中学校に英語教師として勤めるかたわら
           詩集発行の準備をすすめ、1926(大正15)年12月処女詩集「雪明かりの路」を自費出版。
           1967(昭和42)年小説、文芸評論における多年の功績により日本芸術院賞を受賞、翌年日本芸術院会員となる。
 2000年5月   5月10日の松前公園の様子。その1 その2 その3  梅も桜も満開
               
 2000年5月   ゴールデンウイーク(5月5日)の松前公園の風景が咲き始めていた。
           神奈川では3月には梅が咲いていたのだが・・・。北海道では、梅と桜が同時期に咲き始める。
 1999年5月   ゴールデンウイーク(5月3日)の松前公園の風景。この日は寒かった
           風景その1その2。 まだまだ満開は遠かった。
 1997年8月   神奈川県平塚市から実家の松前町に帰省した。山車の風景(その1)その2)。
           松前藩屋敷記念撮影
 1996年8月   神奈川県平塚市から実家の松前町に帰省した。実家の窓から神輿の準備風景が見えた。

(3)札幌編

 2002年10月  秋の道庁赤レンガ庁舎風景。写真1 写真2 写真3 写真4
 2000年10月  秋の色が濃くなった大通公園の朝の風景。写真1 写真2

(4)大沼編

 2000年6月   大沼から鹿部町方面へ向かう。北側には駒ケ岳、南側には横津岳(?)が見えていた。